建築デザインは本格的なものでるほど、しっかりとした技術に裏づけされている。工業技術が進歩すれば建築のデザインも変化する。鉄とガラス、鉄筋コンクリートは、レンガ造から近代建築へと建築デザインを明確に変化させた。

日本の明治建築はその点で微妙だ。それまでなかった西欧建築が突然日本やってきた。そして、ジョサイヤ コンドル等の外人教授陣の手によってわずか数十年でヨーロッパの建築技術が日本に伝承されたことになる。木造建築が石造建築になったわけだ。北島三郎がエクシールの曲を歌うぐらいの違和感があったと思う。
小樽に行き観光地図をみながら「運河沿いの建築郡を見て」「たらふくお刺身を食べ」ぶらぶらしていた。

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小樽に行けばこの風景は観光地観光地している。しかし、明治日本の北の地のノスタルジーに浸るには充分だ。
「小樽のウォール街」という言葉が目に入った。この観光、観光した言葉に軽い怒りすら感じたが、結局、「時間があるから」の一言でいって見ることにした。
いってみると、私の誤解はすぐに払拭された。つまり、私の小樽史の誤認と知識力のなさを思い知らされた。
小樽は明治時代から札幌のバックヤードとして北海道の金融の中心として存在していた。そのため、日本銀行小樽支店をはじめ立派な銀行が集まりまさしく「北のウォール街」を形成していたのだ。

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これぞ本物の建築。しっかりとしたデザイン感覚と知識により築かれている。細部にあるオーナメントはシマフクロウをモチーフにしています。


建築の質はかなりの特上で、保存状況も良好。一見の価値はある。
設計者は、コンドルの弟子で日本建築の父とも言える辰野金吾。名作である。
全体像は、ネオルネッサンス様式で、ギリシャの柱や破風、ローマのアーチが組み込まれている。特に私の目を引いたのは建築の細部だ。おもちゃじゃない、どっしりとした石造の雨仕舞など本物の建築という趣を持たせている。