私たちの学校の廻りには、狭隘(きょうあい)道路と呼ばれる道路があります。東中野地域には、戦災を受けていない地域が沢山残っていることから、戦前の道路が、狭いまま残っています。

昭和の風情を残す、東中野駅前の路地です。


こうした道路の特徴は、「9尺(約2.7m)道路」と呼ばれるごとく、とにかく狭いことです。かつてリアカーやオート三輪などが主流の街では充分だったのかもしれません。

リアカーです!見たことありますか? これがオート三輪です。


さて、昭和20年に新たに建築基準法が作られ、道路は4m以上と決められました。そして、戦後は、新しく建つ建物はそうした道路に接続していなければならなくなりました。当時は、それより狭い道路が沢山ありましたから、いきなり「4mじゃなければ道路じゃないよ!」と頑なに言われたら、建物が建てられなくなってしまいます。

そこで、昭和20年当時に道路として使われていた4m未満の狭い道路については、「道路の中心線から2m離したところまで自分の敷地を道路にすれば良いですよ」ということになり、道路じゃないけど「とりあえず道路」という妙な道路が認められました。こうした道路を「狭隘(きょうあい)道路」と呼んでいます。

簡単な図に表すとこんな感じです。


自分の敷地が2m下がり、向かい側の家も建替えの時2m下がれば、「いつかは4mの道路になる」と言う気の長〜い話ですね。

まあ、そもそも都市計画や地域計画、再開発は時間が掛かるものです。例えば六本木アークヒルズでは32年間、六本木ヒルズでは18年間かけて土地を少しずつ買い、今の姿になったそうですから。

さて、この狭隘道路に関しては、「自分が半分下がれば、相手も半分下がる」という当たり前の「常識」が通用しない強敵もいます。今日はそんな強敵に立ち向かった弱者の物語です。


板橋区でYさんの住宅を設計している時の話です。敷地が面しているのは3.6m幅の道路。2間(にけん)道路と言われている。狭隘道路としては広い部類に属していますが、そうは言っても狭隘道路には違いありません。

通常の手続きであれば、Yさんの敷地を20cm下げ、その20cm分の敷地の使用権を区に渡せば、「以上終わり」です。
そんな話をYさんにすると、「こんな狭い土地から20cmも区に獲られるのか」と不機嫌な様子。とは言え、向かいも隣もその隣も、同じならしょうがないと言うことで渋々承諾してくれました。

ところが詳しく調べてみると、向かいがJRの鉄道用地になっていました。実態は誰が見ても宅地と思える空き地で、私も気がついていませんでした。
区役所に相談に行っても、「JRといっても元々国有地。国有地は将来とも絶対に下がることは無いので、Yさんが40cm下がってくれなければ建築確認をおろすことはできない」と言うお返事でした。
勿論、JRにも交渉に行きましたが「前例がない」と言う一言で終わりです。

そんな結果をYさんにお伝えしたところ「激怒」の嵐が吹き荒れました。怒りの主旨は「俺は国にも都にも区にも納税している納税者だ。それを伝えてこい!」という内容(つまり私に何とかしろ!とのこと)でした。まあ、20cmで渋った経緯からも予想の範疇でしたが、こうなるとYさんも引かずに、「最初の20cmの話も無しだ!」の心境に・・・。
私は、サンドイッチの具になった心境です。(2枚のパンにはさまれた主役?)

話の決着は、区の助役まで引っ張り出すことで何とか納めましたが、良い勉強もさせていただきました。
コミュニケーションは最大の武器であることと、納税者は強いということ。
この設計が始まって終わるまでの1年間、「おいJR!お前もどけよ」と思い続けていました。
しかし、このお宅はとても良い建物になりました。実物の写真をお見せしたいのですが・・・こういうお施主さんですからご勘弁を。